福楽寺について

about

福楽寺縁起

history

創立依頼610余年を経過した歴史のある福楽寺です。歴史書によれば伊久礼(井栗)には万葉集の第17巻に歌われている古歌があり、伊久礼村として古くから存在しております。

福楽寺は南北戦争時代(室町時代の始まり)、明徳4年(1393年)弘元比丘により創立されました。更に、古書によれば文禄4年(1594年)頃伊久礼(井栗)に13ヶ寺あり11ヶ寺が廃寺ないし統合して、2ヶ寺となり、現在でも福楽寺と来迎寺の2ヶ寺のみとなって今日に至っております。村には二十日待講(地蔵講)として念仏講が 宝暦(1500年頃)年間から始まったことから推測すれば福楽寺ではその頃からお地蔵様が祀られていたことになります。また、伊久礼(井栗)では室町時代に青海庄に属し加茂、下条と吉良家の領有でしたが、後に上杉直轄領地となり、その時代の各寺院は下条村の山奥にあった長福寺(真言宗の談義所一修行学問所)の支配下にあったと伝えられています。福楽寺はその長福寺の一臈格として重責を務めておりました。

慶長6年(1601年)上杉家が米沢に移封され、住職寺門一同米沢に移り長福寺が衰退し、長福寺の寺宝が末寺に移されるのに伴い、社僧職を福楽寺が引き継ぎ、上杉謙信が祈願していた毘沙門天が福楽寺に安置されたと伝えられています。その後、加茂青海神社の祭礼には御神行を務めておりますした。(前項参考願います)おそらく文禄年間(安土桃山時代)の寺の統廃合の時代上杉家のご加護もあり、維持されてこられましたが、地域での変化が烈しく寺院も荒れた時代と推定されます。ようやく徳川家も安定(江戸初期)になり地方部落に落ち着きが取戻り、法印頼心住職(中興第一世)が福楽寺を再興したものと考えられます。

以来残念なことに2回の祝融(火災)に遭いましたが、
正徳3年(1713年)本堂祝融焼失 同5年再建
文化6年(1809年)本堂祝融焼失
文化7年(1810年)本堂再建
文政11年(1828年)震災(三条地震)により堂塔倒壊、翌12年仮本堂建築
このたび、解体した本堂是なり 檀信徒の熱心な発心により都度建て替えられ今日に至っております。

宗団

denomination

- 宗派 -
真言宗 智山派
- 総本山 -
智積院 京都市東山区東山七条(山号 五百佛山 寺号 根来寺)
- 宗祖 -
弘法大師 空海:宝亀5年(774年)6月15日誕生、承和2年(835年)3月21日高野山にて御入定
- 中興の祖 -
興教大師 覚鑁:嘉保2年(1095年)6月17日誕生、康治2年(1143年)12月12日御入寂
- 宗史 -
平安時代、弘法大師空海は中国から密教を伝え、真言宗を立教開宗しました。それより300年を経て、興教大師覚鑁は高野山に大伝法院を建立して、真言宗を興隆、その後、紀州に根来山を開創しました。桃山期に至り、根来山は秀吉の焼き討ちに遭い、学頭・玄宥僧侶は、難を京都に避け、東山智積院を再興。全国3000寺院を結集し、智積院を総本山と定めました。
- 教え -
凡夫の私たちが、この身のままで仏になれることを「即身成仏」といいます。人は、悟りを 求める心を発し、衆生への慈愛を持ち、修行を実践する事によって、自分の心をありのままに知る事(如実知自心)が出来ます。これが即身成仏への道、と説きます。
- ご本尊 -
大日如来をはじめとする、曼荼羅諸尊
大日如来:あまねく照らす仏さま。宇宙全体の心理を人格化した仏さま。人間は生かされているという事に目覚め、真言を誦呪することで霊験があるとされます。
- 読誦経典 -
般若理趣経、般若心経、観音経、光明真言などの諸真言・陀羅尼ほか - 御宝号 - (お参りするときのお唱え)
南無大師遍照金剛 南無興教大師
- 詠歌、和讃 -
密厳流
- 目標 -
生きる力 -安らかなる心を求めて-

御本尊

honzon

阿弥陀如来

当山福楽寺本尊は「阿弥陀如来」です。
 第56代清和天皇第6皇子真純親王の末孫 源満春公が仏道帰依するため京の信清寺に鎮護された仏像です。(福楽寺への安置は年代不詳)。武田家存亡の危機に難を逃れ、福楽寺に祀られております。
 阿弥陀は人を救うために9種類の印相を組んだお姿をしておられます。福楽寺の阿弥陀如来像は亡くなられた方をお迎えする来迎印を結んで立っておられます。(来迎印:右手を方の上に置き、左手は下方に垂らし、親指と人差し指で輪を作って結んでいます)前仏の阿弥陀如来(3体のうち中央)脇仏として、観音菩薩像(向かって右)・勢至菩薩像(向かって右)を従えています。
 阿弥陀如来の「アミダ」とは梵語(古代インドであるサンスクリット語)の「アミダーバ」に由来しその意味は「無限の光を持つもの」です。つまり、仏の生命が永遠であり、その光は三千大千世界(無限)に輝きわたることを表しています。「阿弥陀如来」は西方浄土にその輝きの仏国土を持っているとされています。
 48の誓願により大慈悲の心を以て、現在の西方の極楽浄土で、永遠の救いをしておられる如来様です。この「48誓願」とは阿弥陀如来が如来になる前、即ち法蔵菩薩の時、仏になるために誓った約束事で、一言で表すならば、「この世の人々を必ず仏の世界に導いて下さる」こと、「現世から来世に向かってより良い方向に導くための誓い」であり、それらを成就して如来になられました。阿弥陀如来は我々が臨終の際に25人の菩薩を従えて亡くなった人を迎えに来られます。その来迎25人の菩薩の姿は本堂内陣天井絵に描かれています。

 さて、本尊の阿弥陀如来(アミダ)と私共真言宗の本尊、本地と言って大日如来とどう違ういがあるのでしょうか?大日如来の「大日」は梵語の「マカビルシャナブ」に由来し、その意味は「偉大なる光」です。それは宇宙法界に遍く充満して輝き、その光は太陽とは比較にならない程大きく、その働きは永遠不滅とされ、一切の物は大日如来から出生される。アミターバもマカビルシャナブも同じ「光」の意味をあらわしている通り、我々衆生をお救いになるとき、神変加持力、特定の誓願を持った諸仏菩薩の姿で現れるのです。したがって阿弥陀如来は大いなる慈悲の心を映し出した大日如来の化身であります。

御真言:オン アミソタテイセイ カラウン

別尊

besson

毘沙門天

 毘沙門天は梵名をベイシュラマナ(仏の教えをよく聞く)といいます。北方の守護神であり、御真言はオン ベイシラマンダヤ ソワカと言い。 唱えれば「福徳、戦勝、神通力、心願成就」の功徳があります。
 古来インドでは財宝、福徳をつかさどる神となり夜叉(やしゃ)羅刹(らせつ)を率いた帝釈天(たいしゃくてん)に属し 北方を守護する神をされていた。そして勝運の神様として七福神の一神として崇められています。

 仏教では四天王の一尊で、その姿は甲冑を身に付け憤怒の相をして左手に宝塔を捧げ、右手に宝棒を執り天邪鬼を踏みつけて、 悪行煩悩の鬼を押さえつけて立っている姿が一般的です。当山福楽寺の毘沙門天は装姿は同じものですが岩上に佇んでおります。

 本仏は上杉謙信公祈願仏で上杉謙信が下条村長福寺に毘沙門天を祀り戦勝祈願と国家安穏を祈願されました。謙信の信念、 難攻不落の居城は山岳にありとの想いと、民の生活を見守るため岩上に毘沙門天を佇ませた姿です。(平成21年NHK大河ドラマ天地人のナレーションで謙信公が山頂に佇んだ姿を思い浮かべてください。)慶長6年上杉家米沢に移封されしおり、 福楽寺に奉祀されたと言い伝えられています。

 毘沙門天は別名、人の話をよく聞くと言うことから「多聞天」とも言われております。

薬師如来

 薬師如来は梵名をバイシャジャ クルと言います。バイシャジャの意味は「医療、医薬」でクルは 教師となります。御真言はオンコロコロセンダリマトーキソワカと唱えます。

 正式名は薬師瑠璃光如来と言い、東方の浄瑠璃世界の主です。お体は清浄にして瑠璃色に光を放ち救いの手を差し伸べている。

 右手ヶ施無畏印(禍や恐怖を仏の力によって払いのける力を持つ印)その左手の掌の上に「薬壺」を乗せておられます。

 薬師如来は12の大誓願を発して一切の人々の迷い、衆生の疾病を治癒して寿命を延べ、災禍を消去し、 衣食などを満足せしめて下さる。無明の病を直す法薬を与える医薬の仏です。

 古くは医王殿があり人衆の病難厄除けや安産祈願でお参りされました。

不動明王

 不動明王は梵名をアチャラ・ナータといいます。アチャラの意味は「動かない」、ナータは守護神で 揺るぎない守護神である。御真言はノーマクサマンダバーザラダンカン大聖不動明王と言います。

 不動明王は一面二臂で剣と羂索(けんじゃく、縄)を持つ岩上に立ち身体の色は青黒、衣は赤土色、 右牙を上に出し、左牙を外側に出しています。憤怒の相で粗岩(盤石、ばんじゃく。「金剛石」とあるので ダイヤモンドの原石である)の上に立って「一切の人々を救うまではここを動かじ」と決意する姿。

 背に(迦桜羅の形をした炎)を背負い、大威力であって難を除き、魔を降伏し、すべての人にわけ隔てなく 利益を与えてくださる方です。また、人の死後は必ず最初に(初七日に)不動明王の導きをうけることは 一般にもよく知られています。

本堂

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四神

 四神は、天の四方の方角を司る霊獣です。東の青龍(せいりゅう)・南の朱雀(すざく)・西の白虎(びゃっこ)・北の玄武(げんぶ)

  • 青龍

  • 朱雀

  • 白虎

  • 玄武

十二支

 十二支の彩色をいたしました。

十二ヶ月の花

 四季のお花です。

  • スイセン

  • ウメ

  • クロッカス

  • ボタン

  • シャクヤク

  • アヤメ

  • ユリ

  • ハス

  • アサガオ

  • ビワ

  • キク

  • ヤマブドウ

境内

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  • 聖観音像

    交通事故に遭われた娘さんを弔うために檀家さんより寄進されました。
    皆さまが無碍自存(何も障りのないこと)交通事故に遭わないようにと祈願し、組寺の僧侶により開眼供養されました。

  • 石柱山門

    檀家さんより昭和2年11月に寄進されました。

  • 弘法大師像

    弘法大師の1100年のご恩忌の年の記念行事としてこの像を建立しました。
    45歳の頃全国に歴遊して経世済民に尽くされた。その歴遊の姿を想いお大師様がいつもそばに居る(同行2人)安心感を感じ取ることができるでしょう。

  • 三世延命子育て地蔵尊

    お子様の健やかな成長と家内安全を守り苦しみを救ってくださいます。毎年2月24日直前の日曜日に地蔵尊祈願法要会を行なっています。

  • 六体地蔵尊

    六道〔(地獄(じごく)・餓鬼(がき)・畜生(ちょくしょう)・修羅(しゅら)・人間・天上〕のそれぞれにあって、衆生(しゅじょう)の苦悩を救済する地蔵菩薩(じぞうぼさつ)のこと

  • 北海道開拓者・松川弁之助

    安政3年(1856)3月越後国より手人を数十名率いて箱館に渡来。直ちに箱館奉行より「箱館御用取扱」の役名を受け、農・林・漁業・河川改修・土木工事等各方面で活躍する。特に、箱館諸術調所の武田斐三郎が設計した弁天砲台や五稜郭の塹壕工事(現在残る石組と堀)を手掛ける等、郷土函館の開拓と発展の礎石を創られた偉大な人物でした。
    また、大正3年(1915)11月10日、蝦夷地と北蝦夷地の開拓の苦労に対し、大正天皇より従五位の追贈を受けました。

近隣案内

neighborhood

万葉の藤

万葉の歌碑

万葉の歌碑

万葉集17巻 大原高安真人(高安王)が詠んだ「妹が家に伊久里の杜の藤の花今来む春も常かくしみむ」この井栗の藤を万葉の藤と呼んでいます。
毎年5月上旬に美しい紫色の花を咲かせます。